『約束された場所で』読了

約束された場所で (underground2)

約束された場所で (underground2)

アンダーグラウンド』に続編があるとは今まで思ってもいなかった。地下鉄サリン事件をオウムの側からも見るというのはやはり必然だったのだろう。インタビュイーの数が少ないこともあってか、一人一人の分量は長い。そのせいなのか、それとも他に理由があるのか、こちらの方が分かりやすいし、こう言うのは語弊があるかもしれないが「本として面白い」ものになっている。興味深いのは、「オウム」に対する感じ方、そこへの入り方が、一人一人全く違っていることだ。自己の精神を高めるため、宗教全般への探求心、俗世間にいるより居心地が良いから、病気が良くなるから、と入信理由がまず違う。だから「オウム」や「麻原」への帰依の度合いもバラバラ、教義の理解もバラバラ。私たちから見れば、そこには一枚岩の組織が厳然と存在しているとしか思えない。しかし、中から見ると逆につかみどころのない集団なのだ。また、これらの人たちから見ると、地下鉄サリン事件は、どこか遠くの世界で起こったこと、現実味のないことでしかない。犯罪というのは通常、ある人間が、意志を持って、他の人間を害するもので、そこにはリアルな直接性がある。じゃあ、この事件はいったい何だったのか?加害者側に全く人を傷つける意図もなく、被害者には事前も事後も一面識もない。被害者の側も、ただある時刻にある路線のある車両に乗っていただけで、それが「誰」であっても不思議はない。つまり、被害者にも、加害者にも「顔」も「名前」もないという、実に奇妙な犯罪であったということだ。これは実に恐ろしい。TVのヒーローもののような、「悪の組織」よりたちが悪い。「オウム」に集まった人たちは、それぞれ何らかの困難を抱えていて、それを解決して欲しいだけなのだ。それが、まるでアメーバのような怪物を産み出し、盲目的に人を殺した。一人一人は、それほど変わった人間ではない。(ただ、霊的に向上したいという気持ちは、私のようなぐうたらには理解できないだけで)むしろ真面目に物事を考える人たちだ。そして、そういう人は決して少なくはないのだ。ならば、そうした人たちが落ち着ける場所をきちんと作っておかなければ、同じ事はまた起こる。それとは逆に、物事を深く考えず、絶えず刺激を求める人間も少なくはない。それが、暴力的な集団(暴走族とか)に吸収されるシステムも、同様に危険なものだ。どうすれば、それぞれの個性を持った人間を、充実して生かしていける社会が作れるのか。これはとても難しい問題だが、放置していれば、社会のシステム自体に危険が及ぶだろう。