学校は会社じゃない

 今日は大人のお話。資本主義社会というモンスターが、社会主義というヒーローを倒し、さらに市場のマネーゲームとマスメディアの産業化が、民主主義というリアルなシステムを茶番劇にしつつあるこの世界で、生きることの価値が空洞化してしまったことに気付かないふりができなくなった人たちが静かに降りて行き/生き始めている。それは、どんな場所でも起こっていることだが、学校という近代化の諸道具の一つでは、今、それがゆっくりとだが確実に萌芽しようとしている。
 近代化の劇的な進行は、リアルなレベルでは、「会社」という組織の誕生と成長と普遍化によって成し遂げられた。そこでは収益をあげることが全てであり、その意味で何の迷いもなくその一点に向かって組織内の改善が絶えず行われている。
 しかし、ここでもう一方に、国家の手足である公的機関という、原理の全く異なる組織がやはり不可欠なものとして存在している。そして、こっちには「金」みたいな一元的で、計量が容易な尺度が存在していない。やっかいなことに、私たちはそいういうもののお世話にならなくては生きていくことができないようになっている。特に、「学校」というやつは十何年という長い期間、私たちを「拘束」し「教育」するという強大な組織である。
 ここで、そもそも「教育」とはという方へ行ってしまうと収拾がつかないし、今日の本題ではないので、話を先に進めよう。
 で、書き方も普通に戻します。この季節学校では、先生たちの頭を悩ますことが増えてきます。普段大変な仕事をしているのに余計に負荷がかかります。(まあ、私はたいしたことをやってないんだけど)
 まず、「異動希望調査」という紙が最近配られました。学年末になると、先生の転勤が話題になりますが、その初めの大事なステップがこの書類で始まってきます。だいたいどんなことを書くかというと、今まで何処の学校に何年勤めて、担任とか主任とかを何年やって、部活動・分掌は何をやっていたかなど。そして、転勤の希望があるか、どの地域なら転勤可能か、転勤したい・したくないならどんな事情があるのかを書きます。この調査を元に教育委員会と各校長先生が調整を勧めるわけです。ちなみについ最近までは、異動を希望しなければほぼ10年間は同じ学校に勤めることができましたが、今は、3年以上勤めると、理由が特にない限り突然転勤させられるようになっています。
 さて、ここでさっきの話とつながってくるわけですが、会社だったら収益のものさしにあてはめて、最適な異動を考えるわけですが、学校の場合そんな明確な基準はありません。とにかく、長い間動かない先生がいないように機械的に動かすわけです。そこで、困るのは例えば部活動の指導で実績を上げて、これからも続けて欲しい先生とか、進路や教務の専門的な仕事が得意で、その先生がいれば生徒や学校にとっていい教育効果をもたらす先生でも、とにかく動かされてしまうわけです。さらに、学校を良くしようと思っていろいろ考えている先生がいて、会議とかで意見を出すのですが、いくらその改革が学校や生徒にとってよいものであっても、それが管理職や教育委員会の方針と違っていたら、さっさと動かしてしまうわけですね。
 それから、学校内人事(だれが学年主任で、誰が生徒指導部長でという)が、その後、年が明けてから始まるのですが、これが、責任が重かったり、仕事が大変だったり、他の先生から色々文句言われたりする役は、誰も進んで引き受けないと言う問題があります。会社だったら、そういう大変な仕事にはそれなりの待遇があるでしょうが、学校にはそんなものありません。だからポストの押し付け合いになるわけです。はやいはなし、出世したい人か、頼まれたことを断れない人に重要ポストが回ってくるわけで、仕事の遂行能力とはあまり関係がありません。これで、学校は良くなりません。しかも、そうやってやむなく引き受けてくれた人に対して、周囲が協力してみんなでガンバロウ!という風になれば話は別です。漢の高祖みたいにね。でも、陰では、「やっぱりあの人だめだよ」とか「もっとちゃんとやってくれよ」とか言ってるわけで、ますますポスト付きは敬遠されることになります。昔はこんなじゃなかったな。もっと先生は団結力があって、足りないところはできる人がカバーして、ってやってたようなきがするんだけど。それはやっぱり、長年同じ学校にいられて、愛着心があるからできてたことなんでしょうね。
 そして、最後に、教育委員会そしてその上の文部科学省。やっとこうしたことに気付いてきたのか、学校の運営についてうるさく口出しするようになってきた。学校の活動は利益ではかれないから、その代わり、方針決定・実行・評価・改善という四つのサイクルを常に行いなさいと言い出した。確かに、変化する社会に対応し、より良い活動を目指すなら、方法はこれしかありません。しかし、その具体的な内容を何も示さず、全部各学校に丸投げ、これでちゃんとサイクルは動くのですか?一番問題なのは、それを手本として示さなければならないあなたたちが、これを全然やってないことですよ。「ゆとり教育」の総括もせず、指導主事訪問やってもろくすっぽ現場を見ないで紋切り型の説教を垂れているだけ。そこに効果はあったの?なかったとしたらちゃんと改善しろよ。そんなこと全然やってないだろ。「率先垂範」この言葉を慎んでお贈りします。
 そうそう、前にも書いたかもしれないけど「総合学習」。これも実に困っています。理念はとても素晴らしい。(皮肉じゃなくてホントに)でも、いまこれを動かしている総合学習推進委員会で話し合われていることは、いかにそれをいい内容にするか、じゃなくて、どうやったら楽に維持できるか、という話だけ。もっとドンと生徒が感動するような、ためになるようなことやろう!という話を誰かしてくれないかなあ。この前も生徒に、「もうプリントやるのあきたよ」と言われ、それを作っている私はへこみました。結局、今までLHRでやるようなことを、時間が確保できないから総合の時間にやっているようなもので、言われても仕方ないのですが。でもね、実は総合学習は週一時間しかないけど、「必履修科目」というやつで、出席が足りなかったり、成績が赤点だったりすると留年確定になるんだよ。みなさんご注意を。