進路ガイダンス・ダンス・ダンス

少しおくれてしまったネタ。月曜日の6時間目に、2年生は希望のコースに別れて、ガイダンスを実施しました。私は何故か大学進学理工系の担当に。講師は、予備校や、進路情報提供会社から来て頂きました。寝る人もほとんどなく真面目に聞いていたのは偉い。
ただね、複雑な思いもありました。私が高校の頃はこんな親切なイベントはありませんでした。とにかく自分で調べて、自分で選べ。一般受験がほとんどで、合否は自己責任。みんなそれを当たり前だと思っていました。今は、親も学校もできるだけ生徒に手をかけてくれようとしますが、それも行きすぎると、みんな自分で考えようとしない依存心の強い人になってしまいそうな気がします。
だいたい、自分の能力や適性と相談しながら、いろんな大学を調べ、「ああ、ここいいなあ!」という発見の楽しみが無くなってしまうような気が。それでね、ここから私の経験上の話になるのだが、決して参考にはならないので、一つの失敗例として笑ってやって下さい。まず、うちの家は貧しく、その上父親が独断的だったので、行くべき大学は初めから決まっていました。何の選択の余地も夢も希望もありません。それこそ「モチベーション」がないので受験勉強など身が入りません。そこで自分の好きな教科を伸ばそうとか、苦手を克服しようとか言う発想はありません。学校ではただ授業に出ているだけのお客です。「選択に悩む必要もなければ、勉強も最も適当。」そんな楽な受験だったら別にいいじゃん、と思われるかもしれませんが、そんなのは人生の浪費・空費でしかありません。
最近こんな事を考えます「高校で勉強することの99.99%は石くずである。ただし、残り0.01%にダイヤモンドの原石が眠っている。それを見つけられた人は、かがやく人生を送れる。しかし、困ったことに、原石と石ころを見分けるのは恐ろしく難しい。原石だと思ってさんざん磨いてもダイヤじゃないこともある。だから、初めから全ての石に目を凝らし、片っ端から磨いていくしかないんじゃないの。」当然私は、見つけることができませんでした。最近になってやっと、歴史と英語は一生懸命やっておけば良かったと激しく後悔しています。それと、私の進路がらみの話は「徐々に、奇妙な、冒険」の方にアップしますので興味があったらそっちも見て下さい。
さて、もう一つ、ガイダンスの内容で気になったこと。これも私の考え方が古いのかもしれないけど、「大学に行く」ということは、何かの手段じゃなくて、それ自体が目的という説明の仕方ではなかったですね。将来の就職のため、学問的な研究をするため、それが進学する理由だと説明されていた。でもね、昔の歌に「学生時代」というのがあって、学生の頃の想い出は、一生の中で最も素晴らしいんだということを繊細に歌ってました。今じゃ、合コンとか、サークルでエンジョイするのが最高!と思っているようですが、果たしてそうなのでしょうか?この頃はとても知性や感受性が研ぎ澄まされていて、友人と議論したり、しみじみ感動するような物事にであったり、仲間意識と友人との絆が深まったり、大学というのはそういう場だったように思っていました。(ただ、私の場合全然そうじゃなかったんだけど。だから余計に、みんなにはそういう経験をして欲しいのです)遠くから来ている学生は今までまだあったことのないタイプの人で、その人に影響を受けることもあるでしょう。そういう結果ではかれない、そこでしかできない経験をしなかったら、人生の大きな損失だと思います。だから、状況が許せば進学しましょう。一生の想い出と友達を作りましょう。それが一番大事なことだと思うんですが。