驚くべき事

今日は授業の変更で、某クラスが2時間連続授業に。うっかりして、ノート点検をし忘れていたことに気付き、大慌てで授業中に見る。(ここまでは「反省日誌」だな)授業に戻ってしばらくすると、本文の朗読を当てている途中で、何か「コン」というような乾いた音が。次の瞬間、教室後ろ側の生徒がわらわらと立ち上がって騒ぎ始める。「何だ何だ?」と思って見に行くと、小さい鳥が床に転がっており、周囲には血が飛び散っていた。凄い速さで飛んできて窓ガラスにぶつかったようだ。私もこんな事初めてでどうするべきか迷ったが、その時頭をかすめたのが宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」に出てくるカッコウのことだった。ひょっとしたら助かるかもしれない。でもどうすれば?その時、生物のM田先生なら何とかしてくれるのではと思いついた。授業はそのままにして、理科研究室へ。しかし、先生不在。鳥はもう動くのをやめ、体のぬくもりも消えつつあった。仕方なく、後のことをM川先生に託して授業に戻る。普通に授業を続けつつ、かなり動揺。何も私はそういう小動物の死に同情するような感傷的な善人ではない。宮沢賢治の洗礼を一通り受けているから、人間が業深い動物で、決して清らかな存在ではないことを自覚している。海岸に打ち上げられた鯨をみんなが一生懸命海に帰そうとするニュース番組を見ると、「食えばいいのに」といつも思う人である。でも、生き物の死を目の当たりにするというのはまた違うんだということにあらためて気付く。それは「可哀想だ」という生やさしい気持ちではなく、圧倒的な「死」のリアリティを否応なく突きつけられてしまうことへの恐怖なのだ。人間が(自分が)死ぬ時もこんな風なんだろうな、と実感せざるを得ない状況。結局鳥は死に、M田先生がどこかに埋めて弔って下さった。ありがとうございました。あの鳥は「コゲラ」というキツツキの仲間だということだ。ちなみに前日には同じ教室で「アカゲラ」が同様に死んでいたらしい。珍しいこともあるものだ。