『村田エフェンディ滞土録』読了。
すごい!すごすぎるぞ、梨木香歩
今から百年ほど前、考古学を学ぶためにトルコに渡った「村田」という青年が主人公。というと、劇的な大冒険ストーリーだと思ってしまいがちだが、何も派手な展開はない。あるいは逆に至極真面目な教養的歴史小説かと思うと、読む気も失せそうだが、それもちがう。村田が下宿先の家で、国も、人種も、民族も、宗教も、全く異なる4人と1羽(鸚鵡です)と、たわいもないトークをするというのがメインの地味なお話なのだ。しかし、これが面白い面白い、私的には「キターーー!」という感じ、もうまさに。
私は学生時代、社会科があまり好きでなく(というか有り体に言うと大嫌いだった)、特に世界史には苦しめられることはあっても、興味を引かれることは全然無かった。でも、これを読んだら激しく後悔した。何でちゃんと勉強しなかったのかと。だから百年前のトルコなんて、かけらもイメージできないはずなのに、目の前に「そこ」があるように、逆に自分が「そこ」に居るように感じ取ることができる。そしてそれが本当にそうだったらいいのに……と思わされてしまうような力を持った小説だ。今「グローバル化」なんて言葉が当たり前のことのように流通しているのが、どれだけ薄っぺらいことか、そんなことすら考えてしまう。ここに書いてあることが本当のことだとすれば(いや間違いなく本当だ)、そのころのトルコ(という「国」じゃなくて「土地」)はいかに「グローバル」だったか思い知らされる。数え切れないくらいの人種や民族をかかえ、互いの間に深い溝やら、壁やらがあるはずの人々が、互いを尊重しながら生きている世界。そして忘れ去られた遙かな過去の遺物が宿している、声のない声がささやきを交わしている世界。そして、「神」と「霊」と人間と、異なる次元に属する存在さえもが交流する世界。どうやったらそんな場所を描き出せるのか、どれだけ作者の懐が深くて広いのか、考えると思わず絶句してしまう。
私は(一応)国語の教員だが、教科書に載っているようないかにも「私は東西の文化に詳しいのですよ」という文章がイヤミに思えることが結構多い。別に深い考えがあってそう思うのではなく、毛嫌いしているだけだが、この本を読んでいて、「そうだ、そうなんだよ。それを言って欲しかったんだよ!」と激しく同意する部分が多かった。「西欧」対「東洋(しかもアジア全体じゃなくて日本だけ)」という視点は不自然に狭すぎる。その中間にある豊穣な文化を抜かしてしまっていいのか!という根拠がこれだけ明確に示されると、百万の味方を得たようなたのもしさだ。だから、これから「ビザンチン」「アラビア」「トルコ」の歴史や地理を勉強しよう。そうしようという気にさえなってしまった。(実現するかどうかは別として)
それから梨木香歩の作品の傾向がずいぶん変わったな、という印象も残った。いままでは、「男性的なもの」に対する「嫌悪」が底の方に流れているように感じたが、「家守」も「滞土録」も男性視点。それもそのはず、この本の最後の方で描かれるのは、もっと大きな、隠されたものに対する反感なのだ。姿勢が変わったのではなく、ステージが一段上がった、ということなのだろう。
忘れてはいけない、この話に出てくる登場人物は、みんながっちりしたバックグラウンドを持っていて、存在感がある。しかも、みんなチャーミングな、愛すべき人たちなのだ。(だから最後はとても泣ける)
とにかくこれからも梨木香歩は私にとって要マークと決まった。

村田エフェンディ滞土録

村田エフェンディ滞土録