デッド・オア・アライブ

 おはようございます。最近歳のせいか目覚めがだんだん早くなっているので、ネットのチェックも書き込みも早朝にやっています。
 ところで、ここのところ何だか日本の社会全体が軋んでいるようなニュースが多いような気がします。とくに、ライブドア関係と耐震強度偽装のことが大きく取り上げられているのですが、話が複雑すぎてついていけません。私に社会常識がないのか?いやいや確かにそれもあるけどちょっと昔と比べて私たちを取り巻いているシステムが急激に巨大化・複雑化しているのは間違いないと思います。例えば、JALのジェット機の整備不良がしょっちゅうニュースになります。これが事故につながったら、必ず多くの犠牲者が出ます。当然「完璧」が要求されます。でも、ジャンボジェットのコックピットの計器やスイッチがどれだけたくさんあるか見たことがありますか?機体の部品がどれくらいあるかわかりますか?それを全て限られた時間内で、限られた数の「人間」の目で、常に「完璧」にチェックすることができるでしょうか?高層マンションを建てることも、何百万という株の売買を処理することも、同様です。確かにコンピュータを使うことで、処理は速くはなります。しかし、今度はコンピュータのシステムが完全なのか、という問題が出てきます。そして、それを扱う人間のミスの問題も。さらに今回のように人間の「悪意」が入り込んできたらもう手のつけようもありません。生きるか死ぬか、自分でリスクが把握できるなら選択の余地があります。しかし、リスクがあるのかないのか自分で判断できない状況では、判断も選択もできずに「死」においやられることがあるのです。
 ジョジョの第五部の最後の方で、ミスタが自分の銃を壊され、落ちていた銃を拾って敵を撃とうとします。その時セックスピストルズの一体が、「自動拳銃はダメだ、リボルバーにしないと」とミスタに訴えます。自動式は連射が早く、弾が切れた時も弾倉を入れ替えるだけで簡単に装填できます。明らかにリボルバーより進んだ拳銃です。しかし、ただ一発で決めなければならない時はリボルバーでなければいけないのです。なぜなら、自動式は時に空薬莢が詰まって撃てない状態になることがあるからです。リボルバーは単純である分、そのような「事故」は起こらないのです。自分で簡単に分解して組み立てることができる。だから毎日の手入れを怠らなければ、大事な一発を必ず発射することができるのです。
 また、阪神大震災があった時、新聞にこんな意見を書いた人がいました。「モンゴルの草原でパオに住んでいる人たちにはこのような災害は無縁である」と。まさしくその通り。ご立派なビルが建ち並んでいる大都会、あるいは原子力発電所のある所、そういう場所で直下型地震が起こりう得るから恐ろしいのです。
 今の私たちの生活は、便利で快適で楽しいものです。しかし、一度何か起これば地獄絵図です。その時自分は甘んじて「死」を受け入れるしかありません。どうですか?自分でそれを選ぶ覚悟はありますか。死んでしまったら、そのことが他の誰の責任であるかなんて関係なくなってしまいます。そういう世界で私たちは生きているのです。